2008年10月26日日曜日

初めて貰ったイエローカード

 息子が初めてイエローカードも貰ったのは2年生のリーグ戦の時だった。
 場所は、ホームグランドである共和小学校、主審は、K和SCのEコーチ(事務局)であった。
 2年生でイエローカードは普通は出ないが、息子は貰ってしまったのである。
 この時、俺は、小学校の息子の教室である2階のベランダからビデオを撮っていた。
 イエローカードは悪質なファールに対して出るものであるが、息子はそんな悪質なファールをやったのではなく、FWである相手がボールを持っていたので、守備の為、追いかけていたのだが、相手が急に止まり、体が大きくポッチャリタイプの息子は車と一緒で急には止まれなかった。この為、覆いかぶさってしまったのである。
 多分、主審が違う人であれば、単なるファールだったと思う。
 試合が終了し、グランドに戻ると、息子はコーチの横で、ピーピー泣いていた。俺は、「ピーピー泣いてるんじゃね~!」と言ってその場をコーチに委ね、立ち去った。しかし、別にイエローカード、それを貰った息子や出した主審に対しての怒りの気持ちはなかった。
 この時、主審をやっていたコーチは、少年サッカーでは色々な事をやっている人だったが、数年後、一緒に飲む機会があって、この時のイエローカードのことを聞いてみた。
 この人は、息子は体が大きいため、高学年になるとイエローカードに悩まされると思い、こういうことでもイエローカードが出されると言う事を息子に知らせたかったと言う事であった。
 まさに先見の明があり、息子はこのイエローカードをかわきりに小学校年代で9枚のイエローカードを貰うと言うイエローキングの座を掴み取ったのであった。
 ただ、この9枚のイエローカードの中で4枚は息子がボールを持っていて、後ろからタックル・体当たりをされて相手が転び、それが原因?で貰ったものなので、誤審のイエローカードである。真にイエローカードと言える行いは、6年生の時、相手DFを追いかけて後ろから相手の両肩を掴んで引き倒した1枚である。これは、イエローというよりレッドに近い行為であった。ただ、息子は理由なくこういうことはやらないので、後から、やった理由を聞いた所、自分がボールを持って相手ゴールに迫っていた時、そのDFが、掴むだけではなく、しつこくわき腹にひじうちをして、ボールをとったことに対する報復だったという。
 これに対して、俺は、「卑怯な事をやられて、ファールで対抗すると卑怯な相手と同じレベルに下がってしまうぞ!お前のレベルはもっと高い!その事を自覚しろ!」と言った。
 まあ、そんな事もあり、小学校の高学年にもなるとイエローカードを貰っても、主審に背を向けて「ケッ!」とかいうくらい動じなくなった。
 しかし、相模原の審判のレベルの差は激しく違い、平均すると横浜、川崎と比べると低い、息子の年代で市外、県外へ出て、試合したが、相模原市内のようにイエローカードやファールは出なかった。へたくそな審判は自覚して引退するか、反省し市外の試合をみて勉強などしてほしい。4級審判資格を持っているから、ただ単に審判をやれば良いという訳ではない。審判と言う立場から、サッカー少年を育成するという覚悟をもってやって頂きたいものである。少年サッカーに関しては、周りの大人(指導者、審判、保護者)全てが、育成者であるという気持ちを忘れてはならない。育成は指導者にと思う大人は不要なので、少年サッカーに関わってほしくないと思う。
 2年連続で神奈川県選抜で優勝、3年目の今年は準優勝というように神奈川県内でも逸材が多いが、審判がヘボでは、市内大会も面白いものにはならないし、逸材も育たない状況になってしまう。
 試合中の保護者やコーチのヤジも同様である。

2008年10月2日木曜日

ライバルSの口

 一番最初に練習試合をした相手が、小学生年代のライバルSの口であった。
 Sの口には、1年生の練習試合をかわきりに2年生の新人戦、スポ小、武内記念フットサル、SFAカップと連続して敗戦させらた。この後、最初に勝ったのは、2年生も終わりに近い2/29の練習試合であった。
 しかし、チームとしては、K南ジュニア杯をかわきりに5回の優勝という好成績を残した。
 この年代での好成績の理由の一つにはRさんという勇気のあるゴールキーパがいたことが、まず、挙げられる。この年代で、失点が少ないのが、その証明である。
 この後も4年生の暑い夏の試合で、川崎の強豪、N野島に7点という大量失点を記するも、その他には、やはり失点が少ないと言うのが息子の入っていたチームの特徴でもあった。
 話を元に戻し、Sの口は、こちらが先制得点をするとすぐ巻き返すという底力のあるチームで、今回は勝ったと言う試合を何度もひっくり返されて、親父ーズの反省会では、終始、Sの口の話で盛り上がった。