2009年7月7日火曜日

小学校4年生

 小学校2年生の頃から、クーバーコーチィングスクールに通っていたが、小学校3年生の頃、幼稚園から通っていたスイミングがどうしても嫌でしょうがなかったみたいで、母に行けと言われ行くには行ったが、スイミングで腹痛の為、見学という事が続いたので、止める事にした。
 この時、東京Vのスクールに入ると、スクール生は東京Vの味スタでの試合がタダで見れ、保護者も特別価格で見れるということだったので、スイミングの変わりに行くかと聞いた所、2つ返事で行く事になった。
 チームでの練習、2つのスクールの練習と3種類の場所でサッカーを始める事により、友だちが激増したようであった。また、馬鹿親である俺には、教え方の違いがこんなにもある事を面白く感じていた。
 また、この4年生というのは、Jの下部チームのセレクションが開始される時期でもある。息子がどのレベルかを知りたくて(息子自身も)セレクションを受けたいと行ったところ、一旦チームを脱会しなければいけないとのことであった。しかし、チーム側の好意で、届け出た脱会届けも、指導部長預かりという事で、落ちてもそのまま戻れることにしてくれた。しかし、息子にとって脱会届けは大きな問題であったようで、セレクションを受けるときには、大いに迷っていた。
 結果は、見事にセレクションに落ち、元の仲間と一緒にサッカーが出来る事になった。

小学校3年生

 3年生になると、S模原では、息子のチームが数ある強豪チームの仲間入りをした。(と周りから言われている事を聞いた。)しかし、3年生は、試合数が少ない為、練習試合も結構こなした。
 新人戦優勝に始まり、桜の綺麗な八王子での練習試合、夏の暑い川口遠征、市外で初めてのライバル厚木のT尾Jrとの愛川ふれあいの村での練習試合、大きくなってからは真の強豪となった藤沢のF沢FCとの練習試合等、これから高学年へ向けて井の中の蛙にならないようにとのコーチの配慮があったのだろう。
 子供たちは、新しいライバルの出現によって、よりサッカーが楽しくなり、より真剣に取り組む事が出来た学年だったと思う。
 しかし、馬鹿親父達は、この頃は天狗になっており、勝つことが重要と思っていたと思う。こんな馬鹿親父達を尻目に子供たちがサッカーを嫌いになるところか益々好きになり、今日ジュニアユースで活躍できているのは、ひとえにコーチのおかげである。スポーツだけでなく、学校なども、いかに良き指導者と巡り会えるかが、その後のその子の将来に大きな影響を与えるのだなと実感している。
 サッカーに関しては、コーチや審判部長の息子君たちが頻繁に息子たちの相手をしてくれたのもこの時期であり、子供たちのサッカーに大きな影響を与えてくれたと感謝している。