2008年6月30日月曜日

小学校1年生の練習試合

 小学校1年生の頃は、人数が少ない事と先輩との関係や1つ上の学年のサッカーを見たり、一緒にやったりする為に、2年生と一緒に行動することがほとんどであった。1つ上の学年は既に15人ほどいたので、試合に出ることはほとんど無く、見てる(見ていないことがほとんどで下を向いて穴を掘ったり、同学年の友達としゃべったり)ことがほとんどであった。
 しかし、1つ上の学年も強いチームで、一緒について行っただけで、メダルを貰えたりしたので、嬉しそうであった。息子に自分で取ったメダルでなくても嬉しいのか?と聞いたことがあったが、確か嬉しいと言っていた気がする。
 2年生の試合に出ても、足が特段速い訳でもなく、団子に突っ込んでいけるでもないが、体格は2年生に入っても中以上であったので、まさにウドの大木状態だった。たまにボールが来ても空振りはするはで、ほとんどボールには触れなかったと思う。
 そんなこんなで、1年生から2年生になるちょっと前(2月頃)Sの口というチームと練習試合が行われた。この時は、メンバーが10人いて、やっと試合ができるようになった。後1人でメンバーが揃うと嬉しくなったことを覚えている。
 この試合のちょっと前に、大容量のバッテリーが付いたビデオカメラを安く入手した俺は、サトの試合を撮りに行った。思ってみれば、これによって俺がこのチームのビデオ班になったのだった。
 話は元に戻り、試合は、団子状態での1進1退から相手にゴールを決められ、あっという間に1-3になった。 しかし、面白いのは、この時の相手のキーパーはその後、相模原トレセンに入り、センターバックとしてキーパーになると言った子(これからRさんと呼ぶ)の前を守った子である。この時、息子は、同トレセンでその子の横でサイドバックを勤めていた。また、相手チームのキャプテンは、同様に一緒にプレーしたトレセンのキャプテンであり、息子とは、サッカースクールのクーバーでとても仲良くなった子でもあった。強いチームだなと思ったが、これがまさか6年間続き、お互いに切磋琢磨できるライバルチームになるとはこの時は思っていなかった。実は結構最近知った余談では有るが、この試合のお互いのチームのコーチ、Rさんの父、と俺の年齢は一緒であった。 この試合の一番印象強い事は、龍さんの得点シーンである。何回目かの相手のシュートを見事にセーブした龍さんがパントキックをした。ヒュ~~~トントントン、コロリ。なんと直接ゴ~~~ル。相手のキーパーもまさか球が飛んでくるなんて思いもよらなかったみたいである。これは、Rさんが小学校1年生の時にやっちまったゴールである。全く、子どもに度肝を抜かれた面白い試合だった。

2008年6月29日日曜日

小学校1年生の頃

 息子は大きくてころころしていたな~。このころは類に違わず、チームは団子サッカーだったが、奴は団子の中には入っていけない子だった。内股で大きい割にはすぐこけた。
 母が運営委員をやっていたが父はあまりグランドには行かなかった。
 チームの人数は4人→8人→4人と変化し、これでは、試合には出れないな~と心配したりもした。
 この頃母は、このチームは強いってことになっているという噂を聞いてきた。幼稚園時代の子の母たちからの情報だと思っていたので、「何でやっと10人になったばかりのチームが強いんだ。そんな訳ないだろ」と笑い飛ばしていた。
 息子はサッカーが好きになっていたようで、風呂でサッカーについて話すと今日はパスをしたとかドリブルをしたとか楽しそうに話していた。
 1年から2年に上がる前にやっと10人になり、練習試合ができるようになった。このとき対戦した相手がその後6年間のライバルになるとは誰もこの時点では思わなかったのではないか。
 この試合では、チームのゴールキーパーが決定した。なぜならこの子はキーパーがやりたいと最初から言ったという。ゴールキーパー選びでは、大抵のチームが迷うのだろうが、このチームはそれがなかった。また、このキーパーがセンターバックとしてサトを指名したのでサトはセンターバックになった。1年生の時点では、不思議なことにポジション争いが全くなかった。
 しかし、俺は、この時は息子のバックがあまり気に入らなかった。なぜならサッカー素人の俺はバックでは得点に絡まないので、息子がサッカーを好きではなくなるのではないかと思った。また、この当時はまだ親ばかだったので、得点に絡まないと俺が面白く無かったなのかもしれない。
 ちなみに今は、親ばかではなく、馬鹿親である。この2つの定義を俺なりにしていて、
 親ばかは、子の実力も考えずに子が一番と考え、試合も見に行かずに何で自分の子が・・・と思う親。  馬鹿親は、子の実力を把握はしているが、何とかそれ以上にしてやりたくて子の試合を頻繁に見に行き、勇気、元気とプレッシャーを与える親である。
 まあどちらも子どもの為に馬鹿になれるのだから良いが、親父には、ことサッカーならば馬鹿親になることを薦める。息子とのコミュニケーションが格段に図れることになること間違いなしである。特にサッカー素人父は馬鹿親になるべしである。

はじめに

息子もはや中1。小学校時代は相模原で、中学校からは町田でサッカーをやるようになった息子に教えられたサッカーに関する情報を残そうと思う。
ちなみに息子がいたチームの成績はhttp://members.jcom.home.ne.jp/apuro/index.htm
で見ることができる。